ブラック業とは

自分のプライドは本当に正しいのか

誰にでも「プライド」というものがあります。その「プライド」はどうしても譲れないことだったり、人には理解出来ない自分だけのこだわりだったりするでしょう。そのような「プライド」はときには社会人、仕事上としての自分を「縛る」ことにもなりかねません。

プライドを持つことは悪いことではありません。自分のこだわりとして曲げられない信念というものはときにはさまざまなことを動かす原動力にもなるからです。その仕事に有益になるプライドであれば、それはとても意味のあるものであることは間違いないでしょう。ただ、自分がおかれた環境と合致しないプライドは邪魔にしかなりません。仕事の妨げになるようなプライドは邪魔にしかならないものなのです。「その環境がどうしても自分に馴染まない」というときには、その「理由」を考えるのが先決です。どうしてその環境、境遇に対して自分がそれを「嫌」だと感じたのか、「できれば抜け出したい」と考えたのか、それを知ることが大切です。

「その会社がブラック企業だから」と決めつけるのは簡単です。ですが、「コンプライアンス」を徹底しているような会社であれば、どれだけストレスを感じたとしても、それはブラック企業ではありません。労働基準法から逸脱している、勤務規定はまともだと感じるが、明らかに自分に対して精神的な圧迫をかけてきている、あるいは、「ただ馴染めない」というようなこともあるのではないでしょうか。

もしかすると、自分がその環境に対して違和感を持っていて、そこを抜け出したいと考えているから、その会社を「ブラック企業」にしたいのではないでしょうか。

たしかに、人によっては馴染めること、絶対に合わないこと、納得できないことがあるでしょう。ですが、その「範囲」が問題です。自分のこだわり、プライドが、あまりにも自分が許容できる「範囲」を狭めているのだとしたら、そしてなかなか自分が完璧だと感じる 場所が見つからないのだとしたら、その都度環境を変える必要が出てきてしまうのです。

人の考えはさまざまです。許される限り自由でいてもいいものですし、許される限りそのこだわりを貫けばいいのです。ですが、社会に出ると「迎合」した方が明らかに楽なこともあるでしょう。明らかに周囲に合わせた方が楽な局面があるのです。それがうまく立ち回るコツだったり、物事を円滑に動かすためのポイントだったりします。

「プライド」がそれを邪魔して、なかなかうまく立ち回れない、なかなか人と関係を築いたり環境に馴染むことが出来なかったりするのであれば、今一度そのプライドを考え直してはどうでしょうか。プライドを考え直して、新しいところに目を向けるということは自分の新しい可能性を得るということでもあります。それはそれまで出来なかったようなことを手に入れることです。もし、状況やそのときの問題が自分の考えを持ち直すことで解決するのであれば、それにはそれによって得られる結果以上の価値が出てくるのではないでしょうか。