雇われているからといって、奴隷ではない
その仕事ができるのは、そのように組織的になにかの事業を展開できるのは、「その会社」がそこにあるからということも考えられます。そこにその企業が存在していなければ、自分はそこで働いていないということです。
ですから、雇われている以上はいつまでたってもその会社、つまり雇い主には逆らえないということになります。それが「サラリーマン」であるということです。サラリーマンである以上は、その組織の意向、方針、そして命令には逆らえないということなのです。それが「常識」であり、だからこそ企業は従業員を守る必要があるのです。決して抗うことができない絶対的な関係です。命令を聞かなければ問題視され、最終的には仕事が出来なくなる恐れもあります。仕事が出来なくなるということは、つまり「そこで働けなくなる」ということです。「雇用契約を解除される」ということです。
社会通念として、職場を転々とすることはあまりいいこととはされません。そして個人にとってみても仕事を次々と変えるのは生活への不安を引き起こします。「来月も同じだけ給与を得られるかどうかわからない」ということは、信販やローンなどに対しては大打撃なのです。どれだけの給与が得られるかということは、どれだけ生活にフリーケンシーを持たせることができるかということでもあります。生活に幅を持たせるということは、すなわち「豊かさ」ということです。安定して豊かな暮らしを送るためには、安定した収入というものは必要不可欠なのです。
だから多くの人は「雇われる」という選択をします。雇われて、自分の責任として自分に与えられた仕事を完遂することで毎月決まった給与が得られるのです。だから会社に対して、上司、上長に対して頭が上がらないのです。それがサラリーマンだということです。
ただ、そのように絶対に抗えない立場であるからこそ、組織は個人を守るべきで、従業員に対する節度ある接し方というものを考えるべきだということです。雇われている側は、雇っている側には絶対に逆らえないのです。だからこそ、従業員は守られるべきで、法律で認められている権利は遵守するべきなのです。
ブラック企業では、それらの法律、従業員の権利を「会社の方針」として踏みにじることが多いです。会社がそのように決めたから、経営者の方針だからと言って、安定して生活したい人の願いを利用して、従属させるのです。そのような構図は現代の「奴隷」のようです。ただ、今の時代には「奴隷」などは認められるわけがなく、奴隷などは存在しません。働く人は法律で守られているはずで、経営者は法律を遵守する必要があるのです。
つまり、従業員を奴隷のようにこき使うことは「違法」だということです。問題は、雇われている側があまり法律を知らないということです。会社が言っているのだから、正しいのだろうとしか言えないことにあります。だから、上司や上長までもが、その会社の決定は正しいものとして捉え、組織が黒く染まっていくのです。