ブラック業とは

働くということは生きていくことにおいて最低限の用件です。私たちは仕事を「選ぶ権利」というものを持っているものですが、「働かない」という選択肢はなかなか選びづらいものです。働かなければ日々の糧も得ることができません。

一般的に、「働く」といえば「雇ってもらう」ということが連想されます。だれかに「雇ってもらう」ということは、「その人の下につく」ということです。課せられた責任をまっとうするということ、与えられたミッションをこなして、それに対しての「報酬」をもらうことが「働く」ということに対する「イメージ」でしょう。そこには自分を監督する人がいるはずです。自分を監督して、「評価」する人がいるはずなのです。それを一般的には「上司」と言います。

「上司」に正当な評価をしてもらわなければ、自分の「報酬」は上がらないということも一般的なイメージです。上司の命令は絶対で、上司に気に入ってもらうことだったり「使えるヤツだ」と判断してもらったりすることによって、自分の報酬は「上がる」と捉えるのが通例です。ですから、雇われている身であれば、上司の命令は聞くもので、そうしなければ自分の評価は下がってしまうかもしれない、そうなれば収入が下がってしまうかもしれないと、考えるのが普通なのです。

だから「雇われること」ということは「従うこと」が多くなります。言われたこと、指示されたことを完遂するのが責任で、「社会人でいるということ」はすなわち「従うこと」という具合に曲解してしまうことがあるのです。本当は社会人でいることというのは「盲目的に従う」ことが大切なわけではありません。大切なことは「どうすれば組織に貢献できるのか」を考えることなのです。組織に貢献することというのはどういうことかというと、自分が所属している組織が少しでも利潤を残せるように考えることなのです。そして、それを実践することなのです。

「ビジネス」というものは確固たる「正解」などはありません。試行錯誤することによって、そしてそれを実践し、経過を「観察」、「測定」することによって、少しでも傾向として「当たる方法」を見出すものなのです。そしてビジネスというものは時代の流れやその他の外部要因に大きく左右されるものでもあります。完璧な方法、絶対にあたる方法などはあり得ないということです。

ですが、世の中の「ブラック企業」と呼ばれる組織はそれを認めないものです。確かに「理屈」では「正論」であることを並べるものなのです。例えば「目標」です。高い目にチャレンジすることはいいことです。目標を追いかけることで自身が成長できるのであれば、その目標は「自分を育てるもの」になります。ですが、ブラック企業ではその目標が高すぎることがあるのです。そして、どう考えても達成できないようなその目標を盾にして、従業員を締め付けるのです。「目標に達していないのに帰るのか」と、半ば脅しをかけるかのように振る舞うのです。